不可逆の切なさについて

 

なんでも目の前に現れたものは、なんでもふたを開けてみて、頭から突っ込んでいけばいいと思ってた

それがいちばん素敵な生き方だと思ってた

けど一度開けてしまったふたっていうのは、もう元には戻らないんだね

色んなことを知るほどに、考え込んでいくほどに

何も知らないハッピー馬鹿に戻ることはできないのよ

ハッピー馬鹿のフリをすることはできるけど

それは戻ったんではなく

新しく前に進んでしまっていることなのだと思うわけなの。

 

例えば木造の古い家が

コンクリートのスタイリッシュな建物に建て替わって

それから今また モダン という言葉で!

古民家 プラスほにゃららみたいな風に

昔の良さを再確認みたいな、

戻ろうとしてるけど

それは決して戻ってはいないと思うのよね

コンクリートのスタイリッシュさの

またその先へ、進んでしまっているの

もうぐいぐいよ

 

一度開けてしまったふたの中身を

見なかったことになんて絶対にできない

進化も成長も素晴らしい

合理的。論理的にもきっと素晴らしいことだらけでしょう

 

けどときにそれはたまに切なく感じる

これは論理的でも合理的なことでもなくて

何も悪いこともないんだけど

ただちょっと、切ないだけ、ちょっとなんか悲しいだけ

 

驚きやわくわくを次々と頭から浴びていってしまったら

近々わたしが持っているこのワクワクメーターは飽和してしまうんじゃないかと思えてきて

 

そう考えたらちょっとこわくて、目の前にある蓋でも、

まだ開けない、取っておく、という選択

そういう楽しみ方もあるなと思った