スターバックスで夜ご飯を済ませたい、そんな気分の日もある。

 

今朝は電話をかけながら階段を下っていたら

足を踏み外してすってん転んだ!

 

周りから見てどれほど無様だったのかは分からないけれど、わたしの頭の中でのわたしは、まるでバンジーを飛ぶかのごとく頭のてっぺんできれいに丸い弧を描きながら前に倒れていったのだった。

たった一瞬の出来事のはずが、スローモーションに感じられてちょっとドラマチック、と思ったと同時に「終わった」

と重力には抗えないことを悟って。そしてばたんと倒れ込む他なかった。おまけに傾斜に沿って何段かずり落ちた。もちろん命ある自分自身よりも他に大切なものなどあるわけなく所詮メカの携帯など早い段階でほっぽり投げていたのだけれど

はっと既に発信ボタンが押されていることに気づきうんと手を伸ばしても絶妙に届かないそれに向かって倒れたまま精いっぱいに話しかける

「すみません、あの、たった今階段から転げ落ちてしまいまして」

「一回切りましょうか?」

「はい、そうしてください…」

この距離でも案外普通に会話ができるもんだと感心した。

果たしてたった今転げ落ちたのたった今がどれほどまでにたった今であったのか、この緊迫感を理解してもらえたかどうか気になる

 

電話が切れたところでやっとむくりと起き上がる。

グロテスクと化した自分の脚など見たくないと思いながらおそるおそる確認してみると、なんだそうでもない

と思ったとたんに激痛。そしてそうでもなかったはずのただの肌色から、階段をずった跡ずたいに血がじらじらと湧き出してくる、ひぇ〜

そのあと通りかかった女性に助けられ、消毒液とガーゼをもらいなんとか処置したのだけどこんなボロボロの脚じゃあしばらくミニスカートも履けやしない

今日は絶対にスーパー銭湯に行くんだと決めていたのにお湯に浸かれやしない。

サウナでキメて、塩サウナでつるつるになってってまさに傷口に塩、いたいいたい!

転んだのは去年の夏に富士山の下山を甘くみて走って下ったとき以来。

そう考えるとわたしの転びっぷりは、一年に一度、いつもドーンとやってくるのだ。

そんな富士山の傷跡も実はまだ残っていたりして、

そう考えると今日の傷なんて二年くらいは引きずるんじゃないかと

これじゃあしばらく彼氏をつくることもはばかられる、

やれやれ!

ギャロバンの衣装もどうするのか!

 

 

まったくだ!

とりあえず家に帰ってお母さんから良いリアクションをもらわなきゃと思い、電車に揺られる。

 

不可逆の切なさについて

 

なんでも目の前に現れたものは、なんでもふたを開けてみて、頭から突っ込んでいけばいいと思ってた

それがいちばん素敵な生き方だと思ってた

けど一度開けてしまったふたっていうのは、もう元には戻らないんだね

色んなことを知るほどに、考え込んでいくほどに

何も知らないハッピー馬鹿に戻ることはできないのよ

ハッピー馬鹿のフリをすることはできるけど

それは戻ったんではなく

新しく前に進んでしまっていることなのだと思うわけなの。

 

例えば木造の古い家が

コンクリートのスタイリッシュな建物に建て替わって

それから今また モダン という言葉で!

古民家 プラスほにゃららみたいな風に

昔の良さを再確認みたいな、

戻ろうとしてるけど

それは決して戻ってはいないと思うのよね

コンクリートのスタイリッシュさの

またその先へ、進んでしまっているの

もうぐいぐいよ

 

一度開けてしまったふたの中身を

見なかったことになんて絶対にできない

進化も成長も素晴らしい

合理的。論理的にもきっと素晴らしいことだらけでしょう

 

けどときにそれはたまに切なく感じる

これは論理的でも合理的なことでもなくて

何も悪いこともないんだけど

ただちょっと、切ないだけ、ちょっとなんか悲しいだけ

 

驚きやわくわくを次々と頭から浴びていってしまったら

近々わたしが持っているこのワクワクメーターは飽和してしまうんじゃないかと思えてきて

 

そう考えたらちょっとこわくて、目の前にある蓋でも、

まだ開けない、取っておく、という選択

そういう楽しみ方もあるなと思った

ポエムではない

春の真ん中をほんのちょっと過ぎたあたりでしょうか

18じでもまだじゅうぶんあかるくて

そよ風がなぜるこの場所でずっと止まっていたいような

ああでもはやく家に帰ってテレビでもみたいような

眠たくて

とほうもなく

とほうもないのに

高校生に戻って

あの長い長いさかみちや

狭間駅までの階段を

下りたくなったりして

もどることのないすべてのものに想いを馳せながら

ただ

とほうもないなあ

と思っている

いつだって

涼しげな夕方はとほうもない

いつかは今が

とほうもないものになるのね

23歳

・誰かのメモをそのままメモしても意味ないと思うんですよ。「メモを取る」というのは、何かにハッとして感動や気づきがあって心が動かされた、それを忘れずに残しておきたいと思った、そのどこをどう切り取って言語化するのか考える行為だと思うんです、

だからどんな短いメモでも、そういうプロセスを経て生まれた(メモを取った人にしかわからない)価値ある成果物なのです。

だから誰かのメモをメモしても真に豊かにはならないのではないかなと今朝お風呂でふと思ったわけです。ということを、今メモしているわけです。

大江戸線で

満員電車が駅にとまり、ドアの近くに立っていた人がさっと降りて道を作った。

その駅で降りるであろう誰かのために、その人は二歩外へ出たわけだけど、

そのときばかりは誰も降りる人がいなかった

気まずそうに二歩、帰ってきたあなたは、あなたはすてきな人ですからね。

 

 

夜の八王子で

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すごく雑な書き方ですごく優しいことを言っている

担当みのわさんが書いたのかな?

みのわさんは、店長なのかな?男の人なのかな女の人なのかな

雑な字だけど、ほんとにみんな楽しく働いているんだろうな

働きはしないけど、このお店にお客さんとしては行ってみたいな

「少し不安な方は、おためし3日間のテスト雇用有ります。」という重要な文言と思われるの部分のインクが薄くなっていて非常に読みづらい、ところが愛らしい。

素敵なものを見つけてにっこりほかほか帰り道